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ユインタ郡(、)は、アメリカ合衆国ユタ州の北東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は32,588人であり、2000年の25,224人から29%増加した〔Quickfacts.census.gov - Uintah County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はバーナル市(人口9,089人〔Quickfacts.census.gov - Vernal, Utah - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の町でもある。1880年に設立され、郡名はユインタ郡となった盆地に住んでいたユト族インディアンに因んで名付けられた。 バーナル・ユインタ郡空港がバーナル市の直ぐ外にあり、コロラド州デンバーに毎日定期便が運航されているが、ユタ州の州都であるソルトレイクシティ市への定期便は無い。ユタ州では天然ガスの生産量が最大の郡であり、2008年では2,720億立方フィート (77億 m3) を生産した。郡の全体がバーナル小都市圏を構成している。 == 歴史 == 考古学的所見ではユインタ盆地の一部に古代人やフレモント人が住んでいたことを示唆している。記録が残されている時代になると、ユト族インディアンが住んでいた。非インディアンで最初の訪問者は、1776年のドミンゲス神父とエスカランテ神父である。彼等はカリフォルニアとスペイン領アメリカの間の陸路を確立しようとしていた〔In his diary Escalante called the basin "a fine plain abounding in pasturage and fertile, arable land, provided it were irrigated."〕。 19世紀の初期までには、時折毛皮を求める罠猟師がこの盆地に入るようになった。1831年から1832年に入ったフランス人アントワヌ・ロビドーはメキシコ政府からの免許を得ており、現在のホワイトロックスの近くに交易基地を設立したが、1844年にはそこを放棄した。 1847年、まだメキシコ領だったグレートソルトレイク・バレーに、ブリガム・ヤングとその追随者が初めて入植した。1861年、ヤングがユインタ盆地に探検隊を派遣し、その報告では「ワサッチ山脈と準州東部境界の間、かつグリーン川南岸の土地は、不毛でほとんど価値のない地域の広大な繋がりである」とされていた。ヤングはこの地域をそれ以上開拓しようとはしなかった。 1861年、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンはユインタ・ユアレイ・インディアン居留地を創設し、ユタとコロラドのインディアンの居留地として保存した。1880年代、アンコンパーガー居留地が現在のユインタ郡南部に創設された。アシュレー・バレーはこれら居留地のどちらにも属しておらず、1880年代までにそこそこの牧場主や農園主がこの地域に入ったので、1880年にユタ準州議会はユインタ郡を創設した。その領域の大半はそれまでワサッチ郡の一部だった。当時の郡庁所在地はアシュレーであり、現在のバーナル市から3マイル (5 km) ほど離れており、現在は放棄されている。 1888年、ユインタ郡中央にあるボナンザでギルソナイト(インク材料)が発見された。これは居留地内にあったが、鉱山師がアメリカ合衆国政府に働きかけて、鉱業のために7,000エーカー (28 km²) ほどを除外させた。鉱業とその関連活動(無法行為も含む)がこの地域で急速に発展した〔Utah History Encyclopedia 〕。 ユインタ郡の北側境界は当初、ユタ州北部境界と同じだった。1918年、郡内の北部(ユインタ山分水界の北)がダゲット郡として分離された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユインタ郡 (ユタ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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